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私のアメリカ体験記
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ヶ月後、クラスはつ上がりましたが、
会話力にはほとんど変化が見られないまま
ELS を卒業。
次は
Pacific Hotel School というホテル学校に入学しました。
アメリカに滞在するためには学生ビザが必要だったからです。          


私の目的は大学で学ぶこと。
しかし、英語力不足、しかも大幅に。
だからホテル学校で半年間のビザを発行してもらいその間に英語を学ぶ、
というプランです。学習意欲と不安はたっぷりありました。  


さて、そのホテル学校は、さびれた
フィギュアロア・ホテルの地下一階にありました。
受付をしていた中年のおじさんが校長先生で、教室はつだけ。
生徒は私を含めて人。
               
簡単な手続きをして教室で待っていると、
腰の曲がりかけた白髪のおじいさんがどこからともなく現れ、
ぼそぼそと自分が先生である、と告げました。
教科書は
Food and Beverage というタイトルの本が一冊だけ。 

授業には数日間、通いました。
レクチャーをしても私がほとんど理解できないことを見抜いた先生は、
古ぼけた旧式のキャッシュレジスターの操作を教えたり、
ホテルの台帳の記入方法を手取り足取りで教えてくれました。

言葉を使ったコミュニケーションはほとんど不可能だったので、
お互いすぐに飽きてきて、休憩を取ったまま別れを告げました。
それ以来、そこには一度も行っていません。


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