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学校に通わなくなったので、生活は少々ずぼらになりましたが、
勉強には熱が入ってきました。
私の場合、大学入学の条件に欠けていたのは英語だけだったので、
朝から晩まで、眠りにつくまで英語を勉強しました。
教材は何も持っていなかったので、 Los Angeles
Times という
新聞と、月刊 Playboy誌を読み続けました。
ラジオは、24時間ニュースだけを放送する局を BGM の代わりに、
つけっぱなしにしておきました。
わずかに聞き取れる時報と、天気予報が楽しみだったのです。
テレビは雰囲気がわかるだけだったので、
気分転換に、ときどき見ていました。
新聞や雑誌を読むことは、アメリカに着いてからずっと続けていました。
「新聞が読めるようになれば、ニュースが聞き取れるようになる」
と言われていたからです。
良さそうなアドバイスには一途に従い、実行していました。
その頃の「英語を読む」は事実上、ただの意味調べのようなものでした。
新聞を、辞書を引きひき読んでも訳せない。わからない。
知らない単語が多すぎる。短い文も、長い文も、わかるようでわからない。
それでもせっせと単語の意味を調べ続けました。
根気よく読んでいると、そのうちに理解できるようになる、
という友人のアドバイスを信じて --- 信じる以外に道はなかったからですが。
使用したのは講談社の和英辞典。東京の池袋で買った辞書です。
当時としては新しい発想で編纂されたもので、収録語数90,000。
文法の基本と重要語法の解説付き。
「新聞・雑誌・新刊書の読破に役立ちうる」よう、
学術語から俗語まで収録。
しかも、従来のイギリス式重視ではなく、
「アメリカ式のスペル・発音を第一に掲げ」たもの。
つまり、今日の普通の辞書ですが、
国際勢力の変化を反映し始めた頃のものでした。
この辞書には大変お世話になり、ずいぶん救われもしたのでもう少し述べておきます。
一度調べた単語には青い下線を引き、何度も調べた単語には赤、黒の下線を引き
ました。今、取り出してみると、辞書の端は黄ばみを通り越え、茶色にそまり、流れた
年月を物語っています。
開いてみると、どのページにも、見出し語の半分近くに、いろいろな線が引いてあり
ました。何しろ日本語が書いてある書物はこの辞書だけだったので、実によく使い、
よく読みました。
特に get,
have, make などの意味や使い方がたくさんある基本語は、何度
も読み返しました。貧弱なボキャブラリーをカバーし、最小の努力で表現力をつけて
しまおう、というのがねらいです。
なじんでくると、単語の持つ大きなイメージが感じられるようになります。
基本的な意味から、いろいろな派生した使い方までが一体となり、
シンプルな例文は日本語に訳さなくても理解できるようになってきたのです。
「1つひとつの意味を暗記しなくても、辞書をたんねんに読んでいると英語のままで
わかってくる」と、また1つコツをつかみました。
私の文法知識、類義語などのニュアンス、そして、さまざまな語法は、
この辞書で学んだものが大半を占めているはずです。
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