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ロスは雨が少なく、カラッとした穏やかな気候に恵まれています。
実際には、スモッグにかすむ日の方が多かったのですが、
雨上がりのさわやかな青空をよく覚えています。
芝生や樹木の多い、ゆったりとしたキャンパスはいつものどか。
昼下がり。
カリフォルニアの日差しを浴びて、芝生に横になる学生。
木陰で本を読む学生。
子供を連れた学生夫婦が、交代で子守りをしている
アメリカならではの光景。
私はいつも懸命でしたが、明るく楽しく振るまっていました。
そして自分一人で、Our day will come. と、大した根拠もなく思っていました。
やがて、ようやく、そしてやっとのことで CSULA を卒業。
渡米の目的を、ひとまず遂げました。
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大学を卒業し、晴れて社会人となり、少なからず自信を持って暮らしていた
頃のことです。近所に住む小学生の Jason が、
「どうしてそんな風に、もごもごしゃべるんだ?」
と、真顔で私にたずねるのです。
まったく意味不明の質問に戸惑いました。
私は、はっきり、明瞭に話していたからです。
Jason はあざけるのでもなく、私の話し方のマネだと、
唇を突き出し、もごもごと言って見せました。
その夜、自分の発音を録音して、ガクゼンとしながら納得しました。
どうしてこれで通じていたのか、と、あきれるほどの純日本人的な発音
だったのです。発音もリスニングも少なからず上達した、と錯覚していた
だけでした。
何年もネイティブのきれいな英語を聞きながら、意味が理解できるだけ
で、正しく聞き取れていなかった。そっくりマネしていたつもりが、ただ通
じるだけの発音であった。
これはゆゆしきことです。
このままでは生きて祖国の土は踏めない。
ほんの数日だったとは思いますが、そういう心境になりました。
言葉は音だと確信しながら、基本的な最も重要な部分では相も変わらず
振りだし付近をうろついていた。 それは直面したくない現実でした。
* * *
私の発音が上達しない原因は、自覚できない錯覚と、つまずきの中に改善の
ヒントがあったのです。それは音と認識に関して、一見単純な要素が複雑に入
り込んでいるので、別の機会に詳しく説明します。
それから何年か経ち、
「カタカナ発音になる原因と修正方法」と、「スペルと発音の関連性としくみ」は
何度も手を加え、「30音トレーニング」として、納得できる形にまとめることがで
きました。
そして、アメリカに来てちょうど 10年目の8月に、長女を身ごもった妻と、
「子供は日本人として育てよう」と帰国し、現在に至っています。
このようにざっと振り返ってみても、私がアメリカで暮らした10年間は、
ある意味ではカタカナ英語との格闘であったように思います。
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