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私のアメリカ体験記
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あれからずいぶん時が流れ、日本で生まれた長女はもう、中学三年生。
私の中学時代とはまったく異なる社会環境の中で、独自のライフスタイル
を築きつつあります。

10年経つと実に多くの物事が変化し、20年では世の中は一変します。
けれども、なぜかカタカナ英語はかたくなに受け継がれています。

つい先日、私が帰国した 19838月にロスに行き、10年前の私と同じ様な
体験をした、という方からメールが届きました。

「いきなり英語が通じない、の洗礼を受け、ヶ月間、孤立無援。
孤独な世界をさまようはめに・・・さっぱり聞き取れないし、発音の
せいでほとんど通じない・・・」


かつて、
わが国では、英語を日本語の音で学んだ時代があり、
英語は「通じない・聞こえない・話せない」ものと、広く一般にとらえられていた。
 
「使える英語」を求める声は国民的スローガンとして毎年のように唱えられたが、
発音に対する誤ったアプローチが是正されることはなく、
「英語が通じない」洗礼を受ける人は後を絶たなかった。




英語史のページに、
こう記される日が来ることを私は夢見ているのかも知れません。



         

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