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私のアメリカ体験記
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厳しい校則を持つ大学ですが、唯一の救いは、落第点を取っても、
次の学期で補えば許してもらえるという制度です。

私はこの制度に救われました。
そして、それまでの行き当たりばったりを反省し、
窮地を切り抜けるための作戦を練りました。


 
   ・数学などの英語の量の少ない教科、
     点が取りやすい教科を選択する。

    ・読み書き共に、日本語で考えていてはスピードが  
     追いつかないので、英語で考える。

    ・教科書を要約し、ノートにまとめる。

    ・講義の内容を、教科書で重点的にマークする。


こう書き出せば当たり前のことばかりですが、
当時の私は慎重に、それなりに考えたことなのです。


次の学期にはタイピングと、
英語がよくわからない人たちのための Composition
そしてなぜか相性が良かった会計学の基礎後半)を取りました。

結果は
Composition:
A  会計学: A  タイピング: B

内容にふれずに、結果だけをいえば A A B と見事な成績。
まるで優等生です。ともかく、作戦は成功し、ピンチを脱しました。

この頃から「教科書を要約し、ノートにまとめる」ことが
私の勉強方法の基本となりました。
連日、読んでは書き、書いては読み、覚える。

書いた量もさながら、力一杯書いたので、
右手中指の第関節付近にマメができました。
無理をして続けていたら、炎症を起こして腫れあがり、
一時は親指ほどにふくれたこともありました。

それはやがて、硬いペンだことなり、自分にとっては勲章のような気がして、
秘かな自慢でした。




タイピングについて

課題のレポートは、手書きでは受け付けてくれません。
タイプしなければならないのです。
そのため、タイピングの授業が用意されており、それを選択しました。
「速く、正確に」が成績評価の基準であることを知ったからです。

Composition ( Writing ) について

英語を第外国語とする人たちのための、やさしい書き方の授業。
論文の組立方、アウトラインの書き方などから始まるレベルの低いもの。
20人ほどが受講していました。



大量の読み書きを続けたところ、私の英語の質は急速に、
また予想外の形で変化し始めました。
 

書ける

当然の変化は、教科書のような文体で自分の考えを書けるようになったこと。
これは予想していたことであり、期待していたことでもありました。


聞こえる・話せる!!
 
驚いたことは、講義が聞き取れるようになり、
ジョークもわかる場合が増えたことです。
そして、これはまったく予想外でしたが、ほとんど日本語を話す感覚で、
英語を話せるようになったことです。

英語の国アメリカで暮らしているので、
日々の生活が「英会話」そのものであったはずです。
けれども、私がいわゆる「英会話」として表現を暗記し、
声に出して練習したのは渡米直後のヶ月だけです。

それはホテル学校のビザが切れる前に
TOEFL の得点を上げることが、
私がアメリカで生きていくために残された唯一の方法であり、
そのために読むことに追われ、話す練習をする時間も余裕もなかったのです。

入学してからも読み書きに追われ続け、
人と話すのは日に数分であったと思います。
それが、気がついてみると結構、話せるようになったのですから、
読み書きの効果は計り知れないものがあるようです。


※ 私の場合の「大量の読み書き」とは学期(約ヶ月)に次のような量でした。
教科書を 1,000ページ前後。
大学生としては普通の量。
大学ノートに 300500枚程度(片面のみ)
普通の学生よりは多い。


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