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大学の授業はリスニング(聞き取り)が大きな問題となりました。
アメリカ人と顔を合わせて話す場合には、ある程度わかるようにはなっていま
したが、相手が私の英語を聞いて、手加減してくれていたようです。
先生方の講義はまったく聞き取れないことが多く、驚きでした。
速いだけではなく、どこかもやもやして、ときどきしか聞き取れない。
予習をしていっても、教科書のあらすじ程度しかわからない。
いきおい、カンで勝負となります。
特にまいったのは真剣に、全神経を集中して講義を聞いているときに、
突然、クラス中がどっと大爆笑する場合です。
講師も笑っていて、「何だ、ジョークか」、と気づくのですが、
非常に強い孤独感を味わいました。
自分だけがわからない。
ただのジョークがわからない。
他人の笑い声で落ち込むなんて、まったく笑えない話です。
大学生活をおくるためには、英語の読み書きと、聞き取りが
日本語と同じではなくとも、かなりのレベルが要求されます。
ところが、私の力はどれも不十分でした。
講義がろくに聞き取れないとなると、
レポートとテストでカバーしなくてはなりません。
こう言うと簡単ですが、
テストは一筋ナワでいくようなものではありませんでした。
初めての中間テストで、現実を思い知らされました。
私はアメリカ生活の最初から最後まで、
見通しの甘さを痛感したり、反省したり、また奮起したり、
何か新しいことに出会うたびに、もがいていたようです。
そのパターンは今も続いています。
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さて、中間テスト 、最初の教科は必修の「アメリカ合衆国憲法」でした。
テスト用紙は B4 くらいの紙一枚。問題は2問のみ。
「〜について述べなさい」程度の指示が2,3行あるだけ。
残りの空白に答を書くのです。
書くべきことは、それなりにわかっていました。
ところが、考えを英文に直すことに手間取り、第2問にとりかかったところで、
時間切れ。
ある程度、英語で書ける、と思っていたのは錯覚でした。
書くことはできても、遅すぎて、実用にならなかったのです。
日本語を書くような速さでなければ、間に合わないことを学びました。
記念すべき最初の中間試験の、最初の教科の結果は F。
いきなり大変なことになってしまいました。
次の学期に3教科の平均が B 以上の成績を取らないと、
私は退学となり、学生ビザを失い、祖国日本へ強制送還となります。
また、英語を読める、と誤解していたこともわかりました。
マーケティングの試験は multiple choice。つまり4択問題で、
「割合に点が取りやすいと」、講師は再三、私たちに告げていました。
各問題に数行の問いがあり、4つの選択肢から正解を記号で選べばいいのです。
(この multiple
は「マルチプル」ではなく、「モータポォ」と聞こえました)
実際、問題の1つひとつは、さほど難しくはなかったのですが、量が問題でした。
90題を 90分で解くのです。時間があれば何とかなったはずですが、スピード不足。
70題も解かないうちに時間切れ。結果は D。
かろうじて会計学の基礎(前半)が A 。
日本の家族に出した手紙には、会計学の結果だけを書きました。
期末テストも、中間よりは多少ましになった程度の成績でした。
1学期が終わると、大学は 7日〜10日の休み (quaterbreak) になります。
いきなり F を取ってしまった私の場合、
この短い休みと次の学期だけが残された最後のチャンスとなったのです。
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