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私のアメリカ体験記
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アメリカで初めて迎えたクリスマスは特別のものでした。

どの家も、キラキラ輝く豆電球や装飾品で飾られたクリスマスツリーを、
外から見えるように道路に面した窓に置きます。
こった家では屋根や庭の植え込み、そして街路樹までにカラフルな豆電球を飾り付け、
にぎやかにキリストの生誕を祝う。それがアメリカのクリスマス風景なのです。
                   
     


ところが、この年は石油産出国が戦争をしていて、
世界的に石油不足となったのです。
豊富な資源を誇るアメリカでも、
ガソリンの値段が毎日のように上昇していました。

その頃、祖国 日本ではティッシュと石鹸の
買い占め騒ぎが起きていたそうです。   
第一次オイルショック The energy crisis)   

 

カリフォルニアではガソリンの消費をおさえるために、フリーウェイの最高速度が
時速 65マイルから 55 マイルに制限されました。
(65 mile = 104 km 55mile = 88km) 

さらに、電力を節約するために、第二次世界大戦後以来初めて、夜間の灯火
規制が実施されました。   

夜の 9時か 10時を過ぎたら、
不要な電気を消さなければならなくなり、
Los Angeles は真っ暗なクリスマスを迎えたのです。    

その夜、私はロス郊外からハリウッドの端までを、
あてどもなく車を走らせていました。
どこへ行っても人影はなく、すれ違う車もなく、
私は一人 The Dark Christmas
目撃し続けていました。
    
     
                          

  1973年は

  ウォーターゲート事件でニクソン大統領が
  弾劾裁判寸前に辞任に追い込まれた年。

  連日ニュースから流れる

 The president, Richard Nixon,
 The Watergate Scandal.

  はよく聞き取ることができました。 



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