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はじめに
待ちに待った発音練習。
日ごろの喧騒をしばし忘れ、電車の心地よい揺れを楽しんでいるうちにあっという間に岩井へ到着。今回の練習に望むにあたって、楽しむ、リラックス、気づくということをテーマとしていた。やはりというか、結果はこれまで受けられた方とほぼ同じで、ちょっとフィルターの目が細かすぎたようだった。最大の収穫は英語の音の変化に意識が及ぶようになったことだ。
英語の音は変化に富んでいる
英語は日本語とは異なる言語である。
当たり前という声が聞こえそう。しかし、こんな当たり前のことが最大の難関だった。
日本語は変化をあまりせず直線的、逆に英語は絶えず変化し曲線的なのだ。イメージにすると英語はちょうど「ξ」とか「〜」といった感じ。それは、文全体を見てもそうであるし、個々の音を見ても同様であり、その個々の音の変化が全体の変化を作っているという事実にもぶち当たる。
そして、これは気づけば簡単なことなのだが、言われないとなかなか気づくことができないと思う。日本語に慣れすぎて、そういった変化があるという認識がないのだ。英語の場合、文、そして、単語の発音記号の移り変わりにおいてすらリズムは変化している。そして、その変化は想像以上に大きい。英語は変化する言語であるということを心に留めておこう。
音を認識しよう
認識するというのはおもしろい現象で、すぐにでも誰にでも体験できる。
例えば、外に出る時に、「青色を見る!」というテーマを持つと、まるで語りかけてくるかのように青色が目に飛び込んでくる。普段、確かに見ているのだが、実際には見ているのではなく、見えているだけということに気づくと思う。
これと同じことを英語でする。「英語という言語」という認識から出発するのではなく、
「音」という認識から出発し、自らに「彼らはどういう音を出しているのか?」
「どうすれば彼らと同じような音を出すことができるのだろうか?」と問う。
そこで音の変化に関する気づきを得ることができれば話は早い。
「r」や「l」のような子音の強さや移り変わりのリズムを一度認識できれば、後は意識して聞いていると、まとわりついてくるかのようにその音がよく聞こえてくる。独学でその変化を認識するのは可能だろうが、同時にその気づきを得るには熟練者に聞くのが一番だとも思う。
気づけるのは自分しかいない
運よく熟練者に教えを乞う機会を得ることができたとしても、そこで過度に期待してはいけない。話すのも自分であれば、聞くのも自分である。熟練者のアドバイスを素直に聞いて、音楽を楽しむかのように素直に英語の音を聞く。
現実を作るのは自分である。そんな風には発音されていないと思えばそういう現実が訪れるであろうし、できない!無理だ!と思えばできなかったという現実が訪れる。
自分の可能性を限定するような制約をつけずに、気楽に楽しもう。根気よくやっていけばそう遠くない未来には、素晴らしいイントネーションとリズムで英語を話している自分に会えるかもしれない。
終わりに
練習の内容はこれまで練習を受けられた方々とほぼ同じなので感想とは違う感じでまとめてみました。心構えといったところでしょうか。今、診断を受けてみようかと悩んでいる方も多いと思われますが、一歩を踏み出さないばっかりに飛躍的な成長の種を逃がしているかもしれません。
というのは、出向けば一瞬で気づくことでも、独学で気づくのには相当な時間がかかるかと思われるからです。ちょっとした旅みたいなものです。そう構えずに気楽にやっていくのが上達にも一番いいような気がします。今回、様々な発見を与えて下さって、ありがとうございました。今後の飛躍につながると思うと楽しみです。
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