カタカナ英語とカリフォルニアの青い空 |
Part 1
もう、ずいぶん前のことです。
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いきさつ 1973年の8月、23才の私は Los Angeles に渡り ました。その後10年間、ロスで暮らしました。その間に 大学を卒業し、アメリカ人と一緒にいろいろ仕事もしまし た。英語に関しては本場で修行をつんできたわけです。 英語を話すということは、コツをつかむと短期間でな んとかなるものですが、そのことに気づくまで、ずいぶ ん遠回りをしてきました。ムダな、しなくてもいい苦労 をしてきました。 その主な原因は語学力だけではなく、私のカタカナ 発音にあったのです。 そこで、聞き取れず、話せなかった者がシンプルな 英語を使うようになるまでの一例として、私の アメリカ 生活の様子をお伝えします。 エッ? アメリカに行く前の私の英語力ですか? そうですねぇ。 今でいう、英検3級くらいか、高校1年レベルでしょう。 アメリカに渡る寸前に英会話の本というものを初めて買っ て、 「なんだ、会話ってカンタンなんだ」と誤解したのですから。 ただ、 Beatles のヒット曲の歌詞はほとんど覚えてい ました。カタカナで。 Ah, I should've known better... 早い話が、ぼろぼろの英語 --- およそ英語とは呼べな いシロモノで USA に行ってしまったのです。まさに、若さ はバカさ、「若気のイタリ」を絵に描いたようなものでした。 もちろん、その報いはすぐに、イヤというほどやってくるの ですが。 渡米の目的ですか? 「アメリカの大学は入るのが簡単」だと聞いていたし、 ちょっと行ってみよう、と思ってしまっただけです。 それで1冊の辞書と、愛用のギター、それと Beatles を録音したカセットを数本もって、海を渡ってしまいました。 1ドルが360円であった為替相場が変動制に変わり、1 ドルが270円前後で変化していた頃のことです。 |
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