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30音トレーニング

      森沢さん体験レポート


    


    森沢さんはTOEIC985点。リスニングは満点、しかし映画の聞き
    取りは苦手。英語を教えているが「30音ビデオ」だけでは不明な点が
    あり、明確にしたい、ということでトレーニングとなりました。



  

     




      Uda式 30音トレーニング・一日体験レポート


      きっかけ

      「Uda式 30音トレーニング」について知ったのは、雑誌「エグゼクテ
      ィブ」の’99年8月号の記事を通じてである。この記事を目にしたと
      き、私は天啓を得たような大きな期待を感じたものだ。

      20歳を過ぎた時分から、私はさまざまな方法論を模索しながら英語
      習得を目指してきた。私の努力はそれなりの成功をもたらしてきたと
      言えよう。


      私の英語略歴

      英検2級レベルからスタートして、何度かの学習の休止をはさみなが
      ら、20代後半にはTOEFL600を越し、30歳越えて初めて訪れた
      外国であるアイルランドではいきなり英語を使って仕事を始めたが、
      言語的障害は極めて少なかった。

      約3年の滞在の後、’97に受験したTOEICのスコアは985点。
      パッシブボキャブラリーは2万〜2万5千レベル。レベルの高い文体
      の散文文学を楽しめ、「ニューズウィーク」、「タイム」はカバー・トゥ・
      カバーでも数時間で読み切ってしまう。


      越えられない壁

      しかし、越えられない壁が厳然として存在していた。

      すなわち、音=リスニングの壁である。
      訓練された話者が話す明瞭、整然とした発話は聴き取れても、ネ
      イティブスピーカーが数人集まり、くだけた雰囲気の中で話すいわ
      ゆる「だべり」の英語が聴き取れない。あるいは映画、TVドラマ等
      の英語が聴き取れないのである。

      相当なレベルに達した他の学習者も異口同音にこの問題を訴える。
      一つの論調として、映画、TVドラマなどを「くずれた裏英語」として区
      別し、第二言語として英語を習得する者はそれらを理解しなくても
      よしとする主張もあるようだ。

      しかし、私は釈然とはしなかった。ネイティブ・スピーカーにとっての
      いわばふだん着の英語を「くずれた」英語として斥けるのは「酸っぱ
      いぶどう」の心理そのものであるし、なにより、スクリプトを読んでみ
      れば、するりと頭に入る構文、語彙ともに中学英語程度のセンテン
      スばかりなのだ。


      何故か?

      それにしても、一体どういうことなのだろう。
      TOEICのリスニングは満点を取れるのに、中2程度の文章が空し
      く頭上をすり抜けて行く。

      私なりに分析はしてきた。外国語の音を学習する際、自分では完
      全に模倣しているつもりでも、母国語の干渉が入る。外国語を話す
      際、それは訛=アクセントとなる。一方で、訛の存在は外国語の音
      を正確に認知していないことを意味する。

      理解できるのは、外国語の音を母国語の音、あるいは母国語から
      派生させた音に結びつけ、意味の処理をしていくからだ。比較的
      端正な発話の場合、この置き換え=結びつけがうまくいくが、ネイ
      ティブ・スピーカーが極めて日常的に自然な、妥協のない発話をす
      る際、その外国語の単音のそれぞれが、その音として認知され得
      るぎりぎりの所まで変化する。

      単音の一つ一つを正確に獲得していない学習者はこの変化の振
      幅をとらえられず、理解に障害を来すのだ。解決法は明白である。
      英語を完全に理解したければ、英語の基本的な音体系を正確に
      習得することだ。


      渡る舟は?

      だが、どうやって?
      川を渡るには舟を使えばよいのはわかった。しかし舟はどこにも
      用意されていないのだ。

      私が「Uda式30音」について知った時の状況はこのようなものだ
      った。ご多忙の鵜田氏にお願いし、ご好意により一日個人指導を
      つけていただくこととなった。

                         * * *

      トレーニング当日

      始めに鵜田氏の指導を受けた方の発音を聴かせていただいた。
      まず、小学生、中学生の英文の朗読テープ。「エグゼクティブ」の
      記事で読んではいたが、その見事さに舌を巻く。美しい正真の英
      語音。

      私自身、英語を指導する身だが、年少の初学者にこれほどの発
      音を習得させることができれば、どれほどその後の学習のはずみ
      になるかと考えると、無念だし、自分の力不足を思い知らされ慚
      愧(ざんき)に耐えない。

      成人の方の朗読テープも聴かせていただいた。レッスン前と比較
      すれば上達が認められるが、正直、子供の場合ほどの圧倒的な
      変化は無いように思えた。

      英語はの早期スタートの重要性を感じたが、いやまてよ、それな
      ら40を越えた俺に望みは無いのかと奈落に落とされる気がした
      が、この成人の方は「都合で一時間半程しかレッスン出来なかっ
      た」との説明があり、気を取り直す。


      レッスン開始

      いよいよ私自身のレッスンが開始される。
      まず、いくつかの簡単な英文を与えられ朗読する。
      録音された私の朗読を聴きながら鵜田氏が問題点をチェックして
      いく。指摘は一つ一つ正鵠(せいこく)を得たものだ。

      ネイティブ・スピーカーが英語を話す場合、内容語や強調される
      語にストレスが置かれ、冠詞や前置詞などは弱く、使われる息量
      は少なくなる。このことは理論では百も承知だし、自分が英語を
      教える際、リスニング上の重要点として説明していることだ。

      ところが私自身の朗読は、どの語にも同じ量の息量が使われ、
      イントネーションは非常に恣意的(しいてき)で、文が使われる脈
      絡についての判断力が欠落している。

      鵜田氏は私の朗読を、ネイティブ・スピーカーにとっては「非常に
      不気味かも」と評したが、言い得て妙だ。いや、感心している場合
      では無いのだ。

      ネイティブ・スピーカーが自然に話す際、弱音の単語には発音上
      の変化が現れる。例えば can のaは 「カン(発音記号が使えない
      のでカタカナで代用)
」と曖昧母音に変化し、さらに弱化すると
      曖昧母音さえ完全に脱落して[kn]と発音される。私の場合、全
      ての語を一様に発音しようとするので、拍数、リズムも狂い、目
      的語が来るべき拍に定冠詞が来てしまったりしていた。

      しかし、単語を強弱によって異なった発音、リズムで読むことは、
      先程言った振幅の中で行われる芸当で、単音を正確にマスター
      していない私には不可能なことだ。そして今回のトレーニングで
      は、この単音のマスターが私のテーマと決めていたのだ。


      単音のレッスン
      
      レッスンは問題の単音の発音に移る。アルファベット26文字を
      一つずつ発音するべく指示が出る。乾坤一擲、わたしは””を
      発音した。すかさず「全然出ていませんね」と鵜田氏のチェック
      が入る。軽い目眩(めまい)を感じる。

      「鼻に響かせて、共鳴音を使って。」
      ABCだ。最初の一歩から私の発音はものになっていない
      ようだ。次のBも「破裂音が出来ていない」と指摘される。

      一通り、26文字の発音をやり通すが、OKの出た音は一つとし
      てなかった。

      基本単音の内、あらかたは合格点、RやLなどのに代表される
      難しい音が残り、それらを中心にトレーニング -- これが私の
      予想だった。


      ゼロからのスタート!

      だが、蓋(ふた)を開けてみれば、私の発音はどれもこれも全部
      なっちゃいなかったのだ。

      ネイティブ・スピーカーの発音は吐く息が強く、速い。

      それは私自身も生徒達に常々説明していることだし、そのよう
      に息を使っているつもりでいた。しかし、私の息は問題にならぬ
      位遅いということが判明した。

      単音の発音を個別に指導されるが、これが感覚的に非常に難
      しい。十数度、同じ音を発音する内、たまさかOKをもらうことも
      あるのだが、その差異が自分では感じられないのだ。

      手本として鵜田氏の口から発される音は、なるほど強い息を伴
      い、私のそれとは異質な響きである。とにかく英語音に関しては
      ゼロからのスタートをしなければならぬことを痛感しつつ、午前
      のトレーニングを終了。


      午後のトレーニング

      午後はビデオを用いて、映画のセリフをリピートすることに挑戦。
      ケビン=コスナー売り出し時のサスペンス。センテンス一つごと
      にポーズを入れ、私がそのセンテンスをそっくり繰り返す。

      イントネーションの狂い、推理による文型、語句の変更に厳しく
      チェックが入る。聴き取りにくいセンテンスを個別に抽出し、何度
      も音読し、口になじませる方法も取られる。

      自らすらすらと口にできるセンテンスは理解可能。聴き取り可能
      という趣旨だが、これは私自身も生徒に実践していることで、理
      論としては違和感はない。問題はセンテンスのスピードが一定の
      レベルを超える時だ。

      私自身は、NHK「やさしいビジネス英語」のダイアローグ(分速
      170〜180ワード)は、下見を一二度すればほぼ問題なくシャ
      ドーイングできる。分速200ワードを越えると、ついていくことが
      途端に困難になる。

      このトレーニングは分速200ワードを越えていたと思えるが、無
      理に同様のスピードで言おうとすると、各語の音が原形をとどめ
      ない程くずれてしまう。
      
      これも単音を正確につかんでいないため、正しい音の圧縮、連
      結ができないがために起こる現象だろう。そうこうする内に、私
      の疲労を見た鵜田氏から休憩の声がかかる。いつわりなく有難
      い。


      休憩後のトレーニング

      休憩の後は、再びリピーティングトレーニング。
      しかし今度は教材がNHKで放映中の若者向け学園ドラマに変
      えられる。私が --- そしてほとんどの日本人英語学習者が---
      苦手とする英語である。

      テープがかけられるが、セリフが全く聴き取れない。早口の、鼻
      にかかった、あまり口を開かないで発される英語。白旗を上げる
      しかない。

      この類の英語に比べれば速い速いと言われるTOEICの英語な
      どは、殺菌消毒され、首輪をつけられたと言っていい程に分かり
      やすい。セリフの内容を尋ねると鵜田氏はセンテンスをそのまま
      くり返してくれた。
       
      テープをそのまま再生し、後続のセリフも続けてシャドーイング
      して見せてくれる。すさまじいパワーの差。唖然とするしかない。
      達人というのは存在するものである。


      トレーニング終了

      一日集中トレーニングの全教程はこれにて終了。
      白系ロシアの血を感じさせるエキゾティックな美女である鵜田
      夫人にいれていただいたコーヒーで喉を潤す。

      疲労困憊の視線の先の鵜田氏は仙人然とした漠たる表情。
      自分の発音、発声と「30音」のレベルとの隔絶に呆然とする私
      に、氏は「大丈夫、できますよ」と確約してくれるが、私の方に
      確信はない。

      とはいえ、多くの点で有意義な一日であった。

      行き止まりだと思っていた地点より先に道は続いており、その
      道を進むためには難解とは言え、ある理論と技術が用意され
      ていること知り得た。
      
      今一つは素直に他者の力量に驚嘆するという経験をひさかた
      ぶりにしたことである。自惚れる気はさらさらないが、自分のレ
      ベルが一定に達するとこうした経験は得がたくなるのは事実
      なのだ。


      「30音」の弱点など

      「Uda式30音」をマスターすることは正直に言って容易ならざ
      ることと思われた。そこには多くの感覚的、システム的困難が
      ある。

      まず、単音の練習をしようにも、まだ正しい発音とそうではな
      いものの違いが体感できていないため、独習の際の不安感
      が強いと言うこと。

      次に、何十時間、何百時間やれば目処がつくという量的指標
      が無いことなど。

      だが、ここであれこれと、とどまっていても仕方ない。
      決して渡れぬと思っていた川を渡り、決して達せぬとあきらめ
      ていた対岸を平然と歩いている人物がいるのは確かなのだ。

      「とにかく続けてみよう。」
      そう決しつつ、私は鵜田邸を後にした。
      





     

    ■ Uda氏に関しては少なからず”過大評価”されているようですが、
    克明なレポートからは、上級者の現状及び、初級者こそ正しい発声と
    発音が不可欠ということが伝わってきます。

    いろいろ示唆していただいた「30音トレーニング」の改良すべき点は
    現在、検討中です。いずれは形にするつもりでいます。



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